日本史、こんなことで争いになっちゃった!
例えば、京都に行ってガイドツアー、絞られたテーマのツアーに参加して、もしかしたら、、金閣寺や銀閣寺、祇園あたりで説明してもらえるかもしれない。
失礼だけど、こんなことで争いになってしまった、、の一つは、ご存知の天皇、上皇、武士の混合チーム戦 保元の乱。この乱の発端は一人の美少女だったとも言えるらしい。びっくり。
そして、そんなことで争いを調べていくうちに、2つの争い、乱とか変とかいうものね。死者の中には将軍様もいた。というかまさしく将軍様がターゲットだった。
その一つの室町幕府13代将軍足利義輝が殺されてしまったことは教科書に1行くらいは載っていたと思うけど。
ていうか、将軍が殺されちゃったのって、室町時代が、その地、その地での俺様ルールに従っていたから、そんなに大事なことではないのかな??
室町幕府の6代将軍 足利義教が殺されてしまった墓吉の乱(1441年)、この原因が、赤松Aくんから赤松Bくんへの義教の心変わりだそうだ。赤松一族には美形が多いそう。美形だから(きっとそうだと思う)、その後は罰も許されている。王様が殺されちゃったら、外国なら一大見世物で馬に手足を引っ張るという死刑だよね。
室町幕府や将軍たちは、なんとなく隠れてしまっていて、室町時代というと
”わびさび”、”禅”、”能”、”茶”など、の文化面が表だっている。義教が殺害された時は猿楽を見ている時だったそうだ。面白おかしく、楽しんでいただろうに。
室町時代の将軍たちは、政治ももちろん色々しただろうけど、ルイ14世みたいに文化のパトロンとしての役割も大きかったのだろうなと想像する。だからこそ、今、mindfulness とか禅が多くの外国人にも支持されているのだ。